キリシタン

こんにちは。今日は2020/09/19 919日は第20内閣総理大臣高橋是清の誕生日ですね。

知ったこっちゃないと思います。ちなみに世界初のミスコンが1888年にベルギーで開催された日、また919日の花は茉莉花だそうです。

 

さて、今日も広辞苑を開きましょう。本当に適当に開くと大抵真ん中になるので今日は前のページをめくります。

 

キリシタン」【吉利支丹・切支丹】

(はじめ吉利支丹と書き、禁教後は鬼理支丹・切死丹などと書き、また徳川綱吉以後は「吉」を避けて切支丹と記した)

後奈良天皇の天文十九年(1550)耶蘇会士フランシスコ・デ・ザヴィエル等が我国に伝えた天主公教、また、その信徒

キリシタンの布教の方便として用いた理化学応用の技術。当時は魔術と思ったから転じて魔術の称

 

この後に「吉利支丹寺」「吉利支丹伴天連」などの説明も加えられています。

 

禁教後に当て字に使われる漢字が不吉なものになったことに興味が湧きました。江戸時代にキリスト教を完全な禁教にしたのは徳川家康カトリック教徒の暴徒化の防止、ポルトガル、スペインからの軍事的侵略の付け入る隙を無くす、またプロテスタント系のオランダは貿易の条件に布教を設けず、こちらの方が都合が良かったため、カトリックを禁教にした、など様々な理由があるそうです。

蘇我蝦夷卑弥呼、東夷、南蛮等、自分たちにとって都合の悪いものたちの名前に縁起の悪い感じを使う文化は相当前からあるようです。

 

名前信仰、日本には古代から言霊という言葉があり、信じられてきました。人は理解ができないものを嫌い、またそれを自分の理解出来るものに落としこもうとします。その結果が宗教、学問です。昔は人々が言葉を発する事柄自体に不自然さ、神秘性を見いだしたのだと考えられます。最古の記述に万葉集に「言靈」の記述がされていたそうです。

 

また、キリスト教ヨハネの福音の冒頭にも「言葉の神秘性」のようなものを正当化するための記述があります。聖書という人によって書かれた神の御言葉という矛盾を正当化するために必須の記述でした。

 

言霊自体は日本独特の信仰ですが、言語の神秘性は世界各国に残されていたりします。

今のように科学信仰が広まっていない江戸時代、この忌文字での当て字の書き換えは今の不良グループがやるような当て字(?)より遥かに精神の害する仕打ちであったのではないかと思います。

 

今日は疲れたのでこの辺にしておきましょうか。最新の広辞苑を持っていないので今もこのような記述があるのかはわかりません。しかし、一つ一つの言葉にはそれぞれの歴史があり、今回のような考察ができると考えると、広辞苑は本当に見ていて飽きない書物です。一つ一つの言葉に言霊があるとすれば辞書はまるで魔術書のようです。